のぶさんのデジカメ散歩

リタイア後の気侭な人生、デジカメ散歩を謳歌してます。
021234567891011121314151617181920212223242526272829303103

信州の旅 その13

 龍泉寺は、高坂弾正忠昌が海津城にいたとき、亡母の菩提を弔うために一庵を建てたのが始まりと言われ、寛文8(1668)年祢津八郎衛門直次がこの地に移して寺とした。直次の戒名から「高安山」という。現在の本堂は明治24(1891)年の火災の後に建立された。山門を入ってすぐ「勝軍地蔵」があり、武士の信仰が厚かったといわれる。寺宝には大きな『閻魔大王図』(明治27年、山口雪嶺作)があり、毎年1月16日が縁日で一般公開される。
 蓮乗寺は、「御安(ごあん)の七面さん」と地元の皆様に親しまれています。1271年に日蓮聖人が佐渡に向かう途中、土豪の九龍源吾が地藏峠(上田と松代を結ぶ峠)まで出迎えました。聖人が赦免となり帰還する際に九龍源吾の館に泊まったと言われています。また、佐久間象山の佐久間家の菩提寺で墓所があります。
 旧松代藩鐘楼は、1624(寛永元)年、真田信之が鐘楼を設置し、2時間ごとに鐘をつかせたのを起源とする鐘楼。1849(嘉永2)年には、佐久間象山が日本で初めて電信機を作って、伊勢町御使者にある居館から、ここまで電線を架けて通信することに成功しています。なお、現在の鐘楼は1991(平成3)年につけられたもの。
 矢沢家の表門は、1792(寛政4)年築。松代藩の無役席(筆頭家老格)を代々勤めた、矢沢家の邸宅表門です。矢沢家は真田家興隆の祖である真田幸隆の弟、矢沢頼綱に始まる家で、真田一族として真田六文銭が門の意外なところ(?)に取り付けられています。
 今回の旅は、天候にも恵まれて楽しく多くの写真を撮ることができ、13回の連載となりましたが、これで終わりといたします。

013 信州の旅 20150423-001

            013 信州の旅 20150423-001-02

013 信州の旅 20150423-002

013 信州の旅 20150423-003

013 信州の旅 20150423-004

013 信州の旅 20150423-005

013 信州の旅 20150423-006

013 信州の旅 20150423-007

013 信州の旅 20150423-008

013 信州の旅 20150423-009

013 信州の旅 20150423-010


長野県長野市松代町  
EOS M3 18mm-55mm、55mm-200mm
2015.04..23 撮影
【 2015/05/07 (Thu) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(0)

信州の旅 その12

 象山地下道は、象山地下壕と言うべきでした。そこを後にして、広い道路に出たら左折し真っ直ぐ進むと右側角に次なる目的地である、旧横田家住宅があります。旧横田家は、松代藩真田家に仕えた中級武士の屋敷で、式台や客座敷を備えた茅葺屋根の主屋をはじめ、表門、隠居屋など附属屋もよく揃い、改造も少ない。松代の武家住宅の代表例で、屋敷構を現在に伝えるものでは全国的に数少ない貴重な遺構であるようです。
 大英寺は、浄土宗の寺院です。 松代藩初代藩主・信之の妻・小松姫(本多忠勝の娘、徳川家康の養女)の菩提寺です。上田の大英寺(現芳泉寺)にまつられていたのを信之が上田から移封された際、ここに移したと伝えられ、現在の本堂はもとは御霊屋。万年堂とも呼ばれています。 現在、境内に工事用重機が入り工事中のようでした。
 大林寺は、真田昌幸夫人の山之手殿(寒松院)の墓所です。元和8年(1622)、初代松代藩主・真田信之が上田から松代へ移封となった時に上田の大輪寺から母の山之手殿の霊を分霊して松代に建立しました。松代藩の家老をつとめた矢澤家や恩田家の墓もあります。
 旧前島家住宅は、松代に現存する最も古い武家屋敷です。前島氏は上田、松代を通じて代々真田家に仕えた家臣。一族の中には、真田昌幸・信繁(幸村)父子が和歌山県の九度山に幽閉された際に、お供をした人もいます。
 真田信之が松代藩主として上田から移って来た時代から昭和初期まで、前島氏の居宅として使われてきました。1759(宝暦9)年建築の主屋は、現存する松代藩士の屋敷としては最も古い時代のもので、松代藩の中級武士の屋敷の様子を良好に伝えています。2006(平成18)年に長野県宝に指定されました。

012 信州の旅 20150423-001

012 信州の旅 20150423-002

012 信州の旅 20150423-003

012 信州の旅 20150423-004

012 信州の旅 20150423-005

012 信州の旅 20150423-005-02

012 信州の旅 20150423-006

012 信州の旅 20150423-007

012 信州の旅 20150423-008

012 信州の旅 20150423-009

012 信州の旅 20150423-010

012 信州の旅 20150423-011

012 信州の旅 20150423-012

012 信州の旅 20150423-013

012 信州の旅 20150423-014

012 信州の旅 20150423-015

012 信州の旅 20150423-016

012 信州の旅 20150423-017


長野県長野市松代町  
EOS M3 18mm-55mm、55mm-200mm
2015.04..23 撮影
【 2015/05/06 (Wed) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(0)

信州の旅 その11

 馬場家長屋門は、御国御取次役並・御聞番役などを勤めた藩重役の表門です。茅葺・寄せ棟造りで四段の腰簓子下見板張りや出格子窓・切子格子窓を用いている。門扉には、八双金物・乳金物が使われている。左に潜り戸がありそれに接する北長屋には格子窓を設けています。江戸時代後期の建物です。
 2~3枚目の写真は、歴史的道すじに漆喰塀が、右側に用水路が続きま、その先に佐久間象山が祀られる象山神社があります。1913年(大正2年)の象山殉難五十年祭を機に、地元松代町出身の大審院長・横田秀雄を中心に神社建立が計画され、1938年(昭和13年)に創建された。社地は旧佐久間象山邸であり、境内には象山ゆかりの建物が松代町内や京都から移築されております。
 象山神社の参拝を終え、歴史的道すじを進み象山地下道に向かう。途中、山寺常山邸と恵明寺に立ち寄る
 山寺常山は儒者・鎌原桐山、維新の先覚者・佐久間象山とともに“松代三山”と呼ばれ、寺社奉行、郡奉行を務めました。江戸時代終わりから明治初期にかけて建てられたと推定される表門と、大正時代終わりから昭和初期にかけて建てられたと推定される書院を復元・修景し、自由に見学、利用ができる施設となっています。
 惠明寺は、象山東麓の境内中央に位置する。桁行五間梁間六間、入母屋造桟瓦葺で、一重裳階付仏殿風の外観とする。正面中央三間に桟唐戸をたて、両端に花頭窓を穿つ。内部は中央4m四方に几帳面取の方柱を建て、その奥に壇を構える。地方における黄檗宗仏殿です。
 象山地下道(松代大本営跡)第二次大戦時の旧日本軍の大本営や天皇が移転するための地下壕で、完成前に終戦となり象山地下道の一部500mほどが見学でき、観光用に以前より綺麗に整備されていた。他の洞窟は地震観測所などに利用されているが天皇の部屋は9月頃に事前に見学申し込みをして抽選で見学できる。此処に来ると戦争を身近に感じ取ることが出来ます。

011 信州の旅 20150423-001

011 信州の旅 20150423-002

011 信州の旅 20150423-003

011 信州の旅 20150423-004

011 信州の旅 20150423-005

011 信州の旅 20150423-006

011 信州の旅 20150423-007

011 信州の旅 20150423-008

011 信州の旅 20150423-009

            011 信州の旅 20150423-010

011 信州の旅 20150423-011

011 信州の旅 20150423-012

011 信州の旅 20150423-013

011 信州の旅 20150423-014

011 信州の旅 20150423-015

011 信州の旅 20150423-016

011 信州の旅 20150423-017

011 信州の旅 20150423-018

011 信州の旅 20150423-019


長野県長野市松代町  
EOS M3 18mm-55mm、55mm-200mm
2015.04..23 撮影
【 2015/05/05 (Tue) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(0)

信州の旅 その10

文武学校の見学を終えて正門を出て左折し真田邸の外塀沿いに進むと道路の右側に旧樋口家住宅があります。旧樋口家は江戸時代、松代藩10万石を治めた真田家の家臣として、藩の目付役などを務め、江戸時代末期は禄高が230石でした。
 旧白井家表門は、1846(弘化3)年築。松代藩の中級武士であった白井家の表門。中級武士とは言え、長屋門形式の立派な門構え! デザイン的にはシンプルなもので、出窓と与力窓のみが設置。なお、2000(平成12)年に現在地(文武学校の目の前)に移築されてきました。
 そして、旧白井家表門から歩いて7分余りの松代城跡へ。規模は小さいがよく整備された公園と言える史跡です。

010 信州の旅 20150423-001

010 信州の旅 20150423-002

010 信州の旅 20150423-003

010 信州の旅 20150423-004

010 信州の旅 20150423-005

010 信州の旅 20150423-006

010 信州の旅 20150423-006-02

010 信州の旅 20150423-007

010 信州の旅 20150423-008

010 信州の旅 20150423-009

010 信州の旅 20150423-010

010 信州の旅 20150423-011

           010 信州の旅 20150423-012

010 信州の旅 20150423-013

010 信州の旅 20150423-014

010 信州の旅 20150423-015

010 信州の旅 20150423-016

010 信州の旅 20150423-017


長野県長野市松代町  
EOS M3 18mm-55mm、55mm-200mm
2015.04..23 撮影
【 2015/05/04 (Mon) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(2)

信州の旅 その9

ホテルでの朝食は、最上階の12階で和食バイキング形式です。外の眺望がすてきでした。
3日目は、六文銭の里:松代町を巡ります。JR長野駅前バスターミナル3番乗場で古戦場経由松代高校行きバスを待つ。
 松代町は、かつて長野県埴科郡に存在した町。江戸時代には松代藩の城下町であり、恩田木工や佐久間象山を輩出した。明治期には製糸業が盛んだった。さらに、昭和期の太平洋戦争末期には国家中枢機能の移転を目的として松代大本営の地下坑道が造られた。1966年(昭和41年)10月16日 に長野市と合併してその一地区となった.。
 旧真田邸は、1862(文久2)年、参勤交代の緩和に伴い、松代藩9代藩主真田幸教の義母で、江戸の藩邸に住んでいた彼の父 幸良の未亡人「貞子の方」が松代に帰ることになったので、その隠居所として新築したもの。日本でも数少ない大名屋敷の面影を今に残している貴重な建物です。
 文武学校は、1852年に藩主 真田幸貫が佐久間象山らの意見に基づき、藩士の子弟に文武の道の道を奨励すべく建設を計画し、ところが成らずして逝去したので次代の藩主 真田幸教が造営したものです。
 非常に多くの建物、土塀が残り、1855(安政2)年開校、建築当時の様子を今に残しています。

009 信州の旅 20150423-001

009 信州の旅 20150423-002

009 信州の旅 20150423-003

009 信州の旅 20150423-004

009 信州の旅 20150423-005

009 信州の旅 20150423-006

009 信州の旅 20150423-007

            009 信州の旅 20150423-008

            009 信州の旅 20150423-009

009 信州の旅 20150423-010

009 信州の旅 20150423-011

009 信州の旅 20150423-012

009 信州の旅 20150423-012-02

009 信州の旅 20150423-013

009 信州の旅 20150423-014

009 信州の旅 20150423-015

009 信州の旅 20150423-016

009 信州の旅 20150423-017

009 信州の旅 20150423-018

009 信州の旅 20150423-019


長野県長野市松代町  
EOS M3 18mm-55mm、55mm-200mm
2015.04..23 撮影
【 2015/05/03 (Sun) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(0)

信州の旅 その8

小布施から車で須坂市にやってきました。目的は、豪商の館:田中本家博物館に立ち寄るためです。館内や屋内での撮影が禁じられており残念ですがルールは守らねばなりません。
 田中本家は、享保18年(1733年)初代当主新八が、現在の地で穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を創業し、2代当主信十郎信房が田中家の基盤を確立した。代々須坂藩の御用達を勤め、名字帯刀を許される大地主へと成長し、3代と5代当主は士分として藩の財政に関わる重責も果たし、その財力は須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商となった。
 当時の面影を伝える屋敷構えは、約100m四方を20の土蔵が取り囲む豪壮なもので、内部には天明年間(1780年代)に京より庭師を招いて作庭された大庭(またの名を秋の庭という。池泉廻遊式庭園)のほか、客殿や主屋などの建物が軒をつらねており、四季折々の散策が楽しめる。
 この土蔵には、江戸中期から昭和までの田中家代々の生活に使用された品々(衣裳、漆器、陶磁器、玩具、文書など)が大変よい状態で残されており、その質と量の豊富さから近世の正倉院ともいわれ、土蔵5棟を改装した展示館では常設展のほか、年5回の企画展も行っている。
 展示館の見学を終えて屋外に出て庭園を散策しイチリンソウやオダマキを見つけ撮影を試みる。
ブロ友とは長野電鉄:須坂駅で別れ、私は須坂駅から特急電車で長野駅に戻る。

008 信州の旅 20150422-001

008 信州の旅 20150422-002

008 信州の旅 20150422-003

008 信州の旅 20150422-004

008 信州の旅 20150422-005

008 信州の旅 20150422-006

008 信州の旅 20150422-007

008 信州の旅 20150422-008

008 信州の旅 20150422-009

008 信州の旅 20150422-010

008 信州の旅 20150422-011

008 信州の旅 20150422-012

008 信州の旅 20150422-013

008 信州の旅 20150422-014


小布施町 : 長野県上高井郡小布施町
FINEPIX HS50EXR 4mm-140mm(35ミリ換算 24mm-1000mm)
2015.04.22 撮影
【 2015/05/02 (Sat) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(2)

信州の旅 その7

新生病院礼拝堂から北斎館へ。三館共通入場券を求めて、北斎館、高井鴻山記念館、中島千波館を巡る。
はじめに北斎館に入る。北斎は浮世絵師として有名ですが、ここには、みなさんがご存知の富嶽三十六景をはじめとした木版浮世絵(錦絵)の他にも、素晴らしい作品があります。 版木で摺られた錦絵とは違い、掛け軸、屏風、肉筆画など、すべて他 に同じ物は一つとしてない一枚なのです。
栗の名産地として発展してきた小布施では、美しく整備された町に栗の木が点在している。北斎館の隣にある、栗の木の間伐材を敷き詰めた遊歩道「栗の小径」を歩き、高井鴻山記念館に立ち寄る。
高井鴻山は、江戸後期の幕末に佐久間象山をはじめ当時の日本史を彩った思想家や、葛飾北斎など文人墨客たちと幅広く交流がありました。高井鴻山記念館は、当時の面影を色濃く残す建物とともに、鴻山が数多く残した書画の作品を展示しています。
そして終わりに中島千波館へ。四季折々の花に囲まれた、庭園の美しい美術館です。小布施町出身の日本画家中島千波の寄贈作品を中心に展示が構成されています。また江戸時代から明治時代にかけての祭屋台五台も保存展示されており、祭に対する小布施の人々の熱い思いが伝わってきます。

007 信州の旅 20150422-001

            007 信州の旅 20150422-002

            007 信州の旅 20150422-003

007 信州の旅 20150422-004

007 信州の旅 20150422-006

007 信州の旅 20150422-007

007 信州の旅 20150422-008

007 信州の旅 20150422-009

007 信州の旅 20150422-010

007 信州の旅 20150422-011

007 信州の旅 20150422-012

007 信州の旅 20150422-013

007 信州の旅 20150422-014

007 信州の旅 20150422-015

007 信州の旅 20150422-016

007 信州の旅 20150422-017

007 信州の旅 20150422-018


小布施町 : 長野県上高井郡小布施町
FINEPIX HS50EXR 4mm-140mm(35ミリ換算 24mm-1000mm)
2015.04.22 撮影
【 2015/05/01 (Fri) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(0)

信州の旅 その6

二日目、長野から長野電鉄線に乗り約30分、小布施駅で下車。ホームから雪山を一望する、山の名前は分からずいましたが、黒姫山と妙高岳と分かりました。小布施駅前でブロ友と数年ぶりに再開しブロ友のマイカーで岩松寺に直行する。
岩松寺は、曹洞宗の寺院。葛飾北斎晩年の傑作、八方睨み鳳凰図があり、小林一茶ゆかりの寺であり、戦国武将:福島正則公の霊廟があります。 参拝&撮影を終え、少し離れた浄光寺薬師堂へ。山門を抜けると、石段の参道が続き、これも浄光寺の見どころの一つで、雁田石を積んで作ったこの階段は何百年もの歴史があるのだそうです。
カーナビに次の目的地を設定し、カナダ聖公会サナトリウム(新生病院礼拝堂)へ。礼拝堂は、木造、フランス茅葺、平屋のゴシック様式を基調とし、外壁を人造石洗い出しで仕上げ、壁面に台座・アーチ棚を備えたアーチ窓が設けられています。玄関を入ってすぐにある栗とりんごが描かれたステンドグラスは必見です。
また、新生病院の沿革を読むと頭の下がる思いがします。

006 信州の旅 20150422-001

006 信州の旅 20150422-002

006 信州の旅 20150422-003

006 信州の旅 20150422-004

006 信州の旅 20150422-005

            006 信州の旅 20150422-006

            006 信州の旅 20150422-007

006 信州の旅 20150422-008

006 信州の旅 20150422-009

006 信州の旅 20150422-010

006 信州の旅 20150422-011

            006 信州の旅 20150422-012

006 信州の旅 20150422-013

006 信州の旅 20150422-014

006 信州の旅 20150422-015

            006 信州の旅 20150422-016

006 信州の旅 20150422-017

006 信州の旅 20150422-018


小布施町 : 長野県上高井郡小布施町
FINEPIX HS50EXR 4mm-140mm(35ミリ換算 24mm-1000mm)
2015.04.22 撮影
【 2015/04/30 (Thu) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(4)

信州の旅 その5

参拝&撮影を終えて、表参道(中央通り)に出ると丁石表示で言いますと三丁てまえに位置する、北信濃を代表するワイナリー「サンクゼール」のショップ。サンクゼールワイナリー門前店があり、善光寺平の北、斑尾高原・飯縄山の大自然ではぐくまれたブドウを使ったワインはもとより、ジャムなどの加工品も販売している。
そして2軒隣に、THE FUJIYA GOHONJIN(藤屋御本陳)が善光寺門前のレトロモダンな館。四季を感じる庭園と美食で和やかに過ごすことができ、大正ロマンと数寄屋造りの伝統美が華麗に融合する、和魂洋才の館「藤屋御本陳」。江戸時代に創業し、明治、大正、昭和…と、各時代の名士が集う社交場として愛されてきたました。
信号機のある大門南交差点角に、ぱてぃお大門蔵楽庭といったくつろぎの空間があります。
JR長野駅に戻り、コインロッカーに預けた荷物を受け取り、徒歩10分のホテルに向かいチェックイン。

005 信州の旅 20150421-001

005 信州の旅 20150421-002

005 信州の旅 20150421-003

005 信州の旅 20150421-004

005 信州の旅 20150421-005

005 信州の旅 20150421-006

005 信州の旅 20150421-007

005 信州の旅 20150421-008

005 信州の旅 20150421-009

005 信州の旅 20150421-010

005 信州の旅 20150421-011

            005 信州の旅 20150421-012

005 信州の旅 20150421-013

005 信州の旅 20150421-014

            005 信州の旅 20150421-015

005 信州の旅 20150421-016

005 信州の旅 20150421-017


長野県長野市
EOS M3 18mm-55mm、55mm-200mm
2015.04.21 撮影
【 2015/04/29 (Wed) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(0)

信州の旅 その4

仲見世通りを過ぎて駒返り橋を渡り、山門に向かう途中の右側に六地蔵があります。
六地蔵は宝暦9年(1759)に造立しましたが、昭和17年の大戦で供出しており、現在のものは昭和29年(1954)に再興されたものです。 六地蔵の「六」は仏教の六道を表わしています。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天のことです。
次いで、手水舎で、参拝前に手を洗い口をすすいで身を清めた後に、本堂に 向かいます。
本堂は創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。本堂参拝後、鐘楼三重の塔をデジカメで撮影する。
その後に、大勧進にといわれるエリアにある萬善堂や護摩堂などを巡り、本堂前の回向柱に触れて無病息災を願う。
回向柱とは、卒塔婆の一種で、御開帳期間中に本堂前に立てられる高さ約10mの柱です。前立本尊の御手と「善の綱」によって結ばれるため、前立本尊に触るのと同じ御利益あるといわれます。

004 信州の旅 20150421-001

004 信州の旅 20150421-002

004 信州の旅 20150421-003

004 信州の旅 20150421-004

004 信州の旅 20150421-005

            004 信州の旅 20150421-006

004 信州の旅 20150421-007

004 信州の旅 20150421-008

004 信州の旅 20150421-009

004 信州の旅 20150421-010

            004 信州の旅 20150421-011

004 信州の旅 20150421-012

004 信州の旅 20150421-013

004 信州の旅 20150421-014

004 信州の旅 20150421-015

            004 信州の旅 20150421-016

            004 信州の旅 20150421-017

004 信州の旅 20150421-018

004 信州の旅 20150421-019

004 信州の旅 20150421-020


長野県長野市
EOS M3 18mm-55mm、55mm-200mm
2015.04.21 撮影
【 2015/04/28 (Tue) 】 信州の旅 | TB(0) | CM(0)
黒ねこ時計 くろック B03
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
プロフィール

のぶさん

Author:のぶさん
のぶさんのブログへようこそ!
Doblog から引越し、早いもので6年を経過し、訪問者も延べ10万人を超え喜んでおります。
千葉市に住み39年、気侭にデジカメ散歩を楽しむ、のぶさんは、孫から、ジイジと呼ばれております。
これからも、元気の証としてブログに写真投稿を続けます。(2015.06.16)

写真は、桔梗の花 
 2010.07.08 撮影

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード